父親の力 母親の力
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     故河合隼雄先生の著作は、ユーモラスな筆致ながら内容が深く、人間心理と時代性の洞察に優れていて、いろいろと考えさせられるものが多い。

    育児書のジャンルではないが、先生の代表作の一つである『母性社会の日本の病理』は、父親のあり方について考えたい方には必読書と思う。その厚い学術書の内容を簡易にして、語りかける形で書かれた新書があり、まずはこちらを読まれることを勧めたい。

    父親に関する力強いメッセージが多く、母性と父性のちがいについて具体的な形で理解できる。また、日本人の育児の今昔と今後のあり方に関する考察でうなずく箇所が多く、いまどきの育児の悩ましさやあるべき姿について目からウロコがある。

    父親が母親と同じことをしていても意味がないし、子どもが窮屈になるだけ。子育ての孤立化やお金や情報量の問題で何かと悩ましい育児環境のなかで、親は子どもを守りつつも、たくましく育てるために距離を置くことも大切な視点なのだ。

    そのためにも、まずは父親自身がたくましく、自立して生きなければいけないと思った。
    「土をかぶるまでは、子どものことを考え続けるのが親だ」などと言っていましたが、昔は幸か不幸か、考えるだけで、お金もモノもないし、日々の生活に追われていましたから、実際にはたいしたことはできませんでした。それでバランスがとれていましたが、いまは、しようと思えば、お金でたいていのことができる時代です。そこで、なにかとむずかしい問題が生じてくるのです。

    父性と母性のバランスがとれているのがもっとも好ましいわけですが、これまでは、日本人の女性というのは、母性の下積みの部分を世話されてきました。考えてみれば、日本の男性にしても、会社へ行って好きなことも言えないまま、組織に組み込まれてやっているわけですから、母性的に生きているといえます。ただ、その分、家に帰って来てからいばることで帳尻を合わせているわけです。

    母性に関する問題は、子どもが母性にあまり深く取り込まれると、自立できにくくなるという点です。そういう子どもが確実に増えてきています。

    ほんとうに強い父親というのは、子どもに対して、「世間がどうであれ、自分の道を歩め。おまえのことはおれが守る」ということでなければならないのに、日本の父親は「世間の笑いものにならないように」などと、世間の代弁者になってしまっています。よく、昔は日本の父親は強かったと言われるけれども、そういう意味では、私は本質的に昔から強くはなかったと思っています。

    これからの日本の父親というのは、ポストではなく、人間そのものとして居場所を持つという意識をもたなければならないし、そのための練習もしていかなければならないと思います。このままだと、もともと母性が強い日本では、父親の居場所は完全になくなってしまうでしょう。

    本来の意味での父性というのは、日本の歴史にはなかったことです。だから、父権の復活ではなくて、私たちは父性をつくりだしていかなければならないのです。日本のカルチャーの中から、そういう父親を創造していくのだという気構えがないと、達成することはできないでしょう。

    妻に怒られたり、子どもに怒られたりしながら、ぐっとしんぼうしている父親も意味がない。そんな強さではなく、これからは的確な判断力と強力な決断力、不要なものはどんどん切り捨てていくくらいの実行力をもった父親が必要なのです。

     いまは、お金や機械によってなんでも手っ取り早くできることが多いため、家族の問題もそんなふうに考えて「うちの子をなんとかよくする施設はありませんか」などと相談にこられる人が少なくありません。「お金はいくらでも出しますから」と言われても、こればかりは安易な外注の発想ではどうにもなりません。
    それより、無料でできる、とてもいい施設があります。それは、それぞれの家庭です。
    | 05:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
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    子どもが育つ条件
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      なんとなくそうではないだろうかと思っていた子育てに関する考え方が、柏木恵子先生の鋭い分析によってズバズバと斬られる感覚。

      父親の育児不在がもたらす負の影響。父親が育児をすることで子どもの発達によい影響があること。母親の「先回り育児」によって子どもの成長を阻害していること。男女共同参画の本質と少子化が進む背景、などなど。

      子育てに関する書籍は情感に訴えるものが多いが、男性はロジックやデータから入る方が理解しやすい場合がある。本書はまさに、男性的な読者にマッチする内容。子育てへの理論的バックボーンになりうる内容が随所に。

      父親がなぜ育児に関わらなければならないのか。それは我が子の健全な発達のためであり、妻の育児負担を軽減するためであり、少子化を止めるため。目的が明確であれば、男性は動きやすい。本書を読んで、男は理屈で育児に関わるべし。
      父親になるが父親をしない、父親はいるが実際の育児に参加しない。こうした育児状況は日本の特長です。

      まめに育児している父親とほとんど育児していない父親とを選びだして、その配偶者つまり母親たちがどのような気持ちで育児し生活しているかを比較しますと、配偶者が育児している母親では「子どもがかわいい」「育児は楽しい」といった肯定的な感情が強いのです。夫との共同育児が母親を心理的に安定させているといえるでしょう。

      父親の育児不在、すなわち父親はいるのに育児せず、子どもの生活圏にはいない状況は、子どもの心理発達にマイナスに作用します。父親がいるのに、幼少時以来父親との交流がない場合、青年の心理的健康は低いのです。

      主な養育者となっている(一次的世話役)父親は、そうでない二番手役割(二次的世話役)の父親とはずい分違っており、そして主な養育者である父親の行動は母親と類似しているのです。このことは、男親が女親と違うのではなく、養育の第一責任者か二番手かが子どもへの行動や態度を決定していることを示しています。

      様々な社会の育児を比較研究した文化人類学者は、「先回りすること」を日本の育児の特徴の一つとしています。日本ではもともと「先回り育児」が強くなる傾向があるのですが、今日、「つくった」子への親の強い思い入れから、「先回り」がさらに加速しています。それはスピードだけではありません。量も増え、さらにその方向やタイミングを変化させました。

      親が子どもに一番よく使う言葉は「早く、早く」です。子どものテンポ、子どもの関心を考慮せず、子どもを親の予定やスケジュールに無理やり従わせようとしての言葉です。本来、子どもに必要な「察し」を書いた先回りが多くなったのです。

      こうしたあまりの過剰な親の関与、その一方で子どもの意思や希望を無視する傾向は、子にとっては「愛という名の支配」「やさしい暴力」となる危険をはらんでいます。
      「できるだけのことをしてやる」ことが親の愛情である、というイデオロギーは、親がそう豊かでなく大勢の子どもがいた時代にはうまく昨日していたのですが、豊かになり少子になった今日では逆効果、むしろ弊害にさえなっています。

      日本では、親が子に「してやる」ことが親の愛情とされています。しかし、子どもに自分でさせる機会を提供する、換言すれば、親はしてやらないことも重要な親の役割です。

      このような不安や不満を抱いている女性・母親が育児すること自体、子どもへの関わりがゆがみやすいことは想像に難くないでしょう。「なぜ自分だけが」との不満が子育てをうとましく思い、子どもへ怒りをぶつけたり、ひいては虐待してしまったりすることは、けっして特異な事例ではありません。あるいは、自分自身の成長を諦めて、子の「成功」に賭ける「教育ママ」も、夫と妻の非衡平的関係の延長線上にあるといえます。

      結婚・出産によって職場を離れ、子育てや家事に専念することになると、「個人」として生きる時間も空間も著しく狭められることになります。このことは「個人」として生きることが当たり前とされている今日では、女性に大きなストレスを与えます。
      | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
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