おとうさんがおとうさんになった日
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     長野ヒデ子さんの絵本。『おかあさんがおかあさんになった日』の方がよく読まれていますが、こちらの『おとうさんがおとうさんになった日』も力作です。

    父親マインドを刺激されるところが大きくて、育児パパ達にもっと広まってくれたらいいなと素直に思える絵本です。

    物語は、三人目の出産を控えたお父さんが育児休暇を取るところからスタートします。職場の人たちが応援して始まるシチュエーションからして衝撃的かもしれません。

    そして、お産の支度をするなかで二人の子ども達から「お父さんはお母さんのように赤ちゃんを産んでいないのに、何故お父さんになったって分かったの?」と質問されて、二人の子どもが生まれた当時の心境を語ります。

    その回想シーンの言葉に、父親の実感が伝わってきて、とても好い感じです。また、出産にあたっての父親と母親の心境のちがいが見事に表れています。

    「おとうさんがおとうさんになる瞬間」は、まぶしくて、ふるえて、いつもの景色が輝いて見えて、なんだかくすぐったく、なんだか不思議な力が湧いてくる。

    それぞれの心境にいたく共感しました。ここまでお父さんたちの心のひだを引きだしてくれた長野ヒデ子さんの力量が凄いと感じます。父親たちにしっかりとインタビューされたのだろうな、と思いました。

    いま我が家には新生児がいますが(7月7日夜生まれの女の子)、赤ちゃんの絵がそっくりで、それもまた楽しい絵本でした。

    おとうさんはね、もうすぐうちで あかちゃんがうまれるから、きゅうかをとったんだよ。

    「ねえ、おとうさん」「なんだい」
    「おかあさんは、あかちゃんがうまれて おかあさんになったの?」「そうだよ」
    「じゃあ、おとうさんは、いつ おとうさんになったの?」

    「おとうさんは、どうしておとうさんになったって わかったの?」
    「おとうさんは あかちゃんうまないのに、どうして そうおもったの?」
    「おしえて、おしえて。おとうさんが おとうさんになった日のこと」

    もちろん、おにいちゃんが うまれた日が
    おとうさんが おとうさんになった日さ。

    あの日、おかあさんは まぶしかった。
    おとうさんが おとうさんになった日って、まぶしいんだ。

    「おとうさん、だっこしてください」って、
    はじめて「おとうさん」って よばれて だっこしたとき
    おとうさんになったんだ、って ふるえた。

    おとうさんが おとうさんになった日って、ふるえるんだ。

    おとうさんが おとうさんになった日って、
    いつものけしきが かがやいてみえるんだ。
     
    おとうさんが おとうさんになった日って、
    なんだかくすぐったいんだ。

    おとうさんが おとうさんになった日って、
    なんだか ふしぎなちからがわいてくるんだ。

    かわいい かわいい あかちゃん。
    あかちゃんがいると うれしいな。
    おとうさんは、もっと もっと おとうさんになった。
    おにいちゃんは、もっと おにいちゃんになった。
    あこちゃんは、おねえちゃんになった。

    あかちゃんがうまれて、うれしい日。

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    子どもの運命は親で決まる!〜ジグラー成功哲学の育児書
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      原題は‘Raising Positive Kids In a Negative World'。内容的には英語タイトルにあるとおり「子どもをポジティブ志向に育てる方法」といった内容です。著者は成功哲学で著名なアメリカ人。

      小見出しはこんな感じで、成功哲学の本みたいです。

      「ポジティブな子どもに育てるための二大原則」
      「バランスのとれた成功を求めて」「成功に必要なものとは?」
      「目標達成を常に心がけましょう」
      「人生の成功者はあなたのすぐ近くにいます」

      自己啓発書のように読める育児書であり、成長志向とビジネス思考の強い父親にとって読みやすい本と思いました。

      他の育児書とは異なる視点が多く、参考になるところが沢山ありました。でも、本書の後半になってくると日米の育児の違いが出てきて???となる箇所もあり。

      例えば、「子どもがあなたに挑んできたときは、お尻を叩いてやることが大変重要なこととなります」といった体罰容認(礼讃)の文章が出てきて驚きました。その他、薬物や暴力、性的虐待に関する話題が出てきます。 

      本書の内容を鵜呑みにすると危険に感じるのですが、汐見稔幸先生が要所要所で解説を入れているので救われています。
      | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
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      父親になるということ
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        杉並区和田中学校で校長をされていた元リクルートの藤原和博さんが、イギリスで第二子の出産前後をつづった育児日記。4歳の長男とのやりとりが中心で、ガイコクの幼稚園や小学校に馴染めず苦労しながら、藤原さんご自身がパパとして殻を破っていく姿が伝わってくる。
        | 15:46 | comments(1) | trackbacks(0) |
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        楽しい子育て孫育て〜小林正観さんの子育て観
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          書店で発売されていない小林正観さんの著書に『天才たちの共通項』がある。
          天才たちの共通項 -子育てしない子育て論 〜笑顔と元気の玉手箱シリーズ3〜 
          「天才」と呼ばれた人には共通項として「同じタイプの母親がいた」という事実を10数人の‘天才’の子育て状況から読み解く力作。

          娘が生まれる前にこの本を読み、自分に子どもが生まれたらこのように育てようと心に誓ったことを思い出す。その後、正観さんの講演テープを何度も聴いたりして、正観さんの子育て論を身に沁み込ませた。

          最近出た正観さんの新刊のテーマが子育てだった。講演ですでに聞いた話題が多かったが、活字で読むと改めて気づくことが多い。

          ぼく自身の子育ての仕方をふりかえると、小林正観さんの教えから影響を受けていることに改めて気づく。娘を自分の思いどおりにしようとする気持ちはないし、「あなたはそのままで一番いい」「いつも大好き!」と娘に繰り返し伝えているのは、正観さんの子育て論の影響だ。

          娘がすくすく育っている姿を見るにつけ、正観さんのおかげだなと思う。

          ぼくは娘大好きな溺愛の親バカではあるが、娘が自立するのを好ましく思っていて、娘が親から離れていく日を心待ちにしているところがある。娘の結婚式で号泣する父親、というのはぼくにはないのだろうな、と思っている(今のところは)。

          そうした子育てスタンスは、元からの性分のもあるかもしれないけれど、正観さんの影響が大。子育てで悩みや苦しみを抱いていないのも正観さんのおかげだなー。
          子育ては、けっして難しいことではありません。子育ての本質は「育てない」こと。本当の子育てとは、子育てをしないことらしいのです。子育てをしないと言っても、必要な愛情をかけないとか、養育をしないといった育児放棄(ネグレクト)のことではありません。私の言う「子育てをしない」というのは、子どもを育てていくに際して「この子を自分の思いどおりにしよう」としないことを言います。

          幼い子どもに対する親の反応は、とても大きな影響を持っています。まさに「刷り込み」というものですが、親の示す態度、親の反応の仕方というものを子どもは全部学び、学習していきます。「学び」という言葉の語源は「まねび」から来ています。すべて、どのようなことも、子どもは親のやったとおり、言ったとおりに真似をしていくのです。親の指導のとおり、教育のとおりにしていくのではありません。

          「あたながどういう子どもでもいいの。あなたが大好きですよ」と言われて育った子どもは、ものすごく豊かな情感を持ちながら、少しのことではへこたれず、のびのびと育つようです。

          子どもを思いどおりにしようとしないこと。自分の思いのままに子どもを育てようと思うから、子育てが苦しいものになります。子どもは自分の描いたシナリオ通りに伸びていこうとする、それを親は見守るだけ、応援支援をするだけ。

          親は思いが強ければ強いほど、子どもの邪魔をしているのです。子どもが自由に伸びていこうとする芽を次から次へと摘んでいっている、ということに気が付いてほしいと思います。

          男の子は母親から限りなく愛されていて「僕もお母さんが大好き!」という関係になったら、何でもやってくれるのです。正しいかどうかではなく、その母親が好きかどうかだけです。男と言うのは、そういう意味で「バカ」なのです。

          子どもは、自分では制御できない感情を母親なり父親が制御できているのを見ると、ものすごく尊敬します。その状態を「大人」と言います。逆に感情が制御できていない状態を「子ども」と言うのです。

          同じことをやっている子どもに対して「きのうはニコニコと見守っていた」のに、今日は「気分が悪いから怒る」というのは、子どもの精神が荒れる原因になり、子どもがねじくれる原因にもなります。

          一般的に、優しさとか、思いやりとか、あたたかさとか、愛情というものは学校教育の中ではほとんど評価されることがありません。学校教育が学業重視に偏るのは仕方ないかもしれませんが、家庭のなかではこの偏りを全部捨ててはいかがでしょうか。「学業成績も20%ぐらいは残しておこう」などと思わずに、100%捨ててしまうのです。

          女性はべつに誰かからほめてもらえなくても十分優秀なので自分でやっていけるし、自分で生きていくことができます。男は、ほめてくれる人がいないと全然ヤル気になれないのです。

          「世の中が暗い」とか「家の中がくらい」とか嘆き、その原因を「社会が悪いからだ」「夫(妻)が悪いからだ」と押し付ける。それでは、いつまでたっても何も変わりません。ほかの人はいざ知らず、まずは自分から変わってみませんか。周囲が暗いなら自分が率先して明るくなるのです。私はいつもこう思っています。「世の中を暗いと嘆くより、みずから光って世の中を照らせ」と。

          昔の先生は「君」づえけ、「さん」づけで呼んでいたと思うのですが、最近の学園ドラマなどをみると、どの先生も生徒たちに対して「おまえらなぁ」「おまえたちよぅ」と呼んでいます。そんな状況では生徒が荒れないわけがないと思います。人間の尊厳というものが先生の側に全然ないのですから。
           
          | 06:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
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          忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス
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            子育てハッピーアドバイス・シリーズ、ベストセラーのパパ本定番。冒頭のメッセージからして圧巻。

            お父さんが育児をすると
            (1)お母さんが楽になる。そうすると、お母さんと子どもの、よりよい関係が築かれる。お母さんの、お父さんへの愛情も深くなる。
            (2)子どもは、自分はお母さんだけでなく、お父さんからも愛されているんだという気持ちをもつ。自己評価が高くなる。
            (3)お父さんがほめてくれると、子どもが友だち関係や学校、社会に出ていくときの勇気になる。
            (4)お父さんが体を使って遊んでくれると、体も丈夫になる。
            (5)お父さんにちゃんと叱ってもらうと、子どもはルールを守れるようになる。
            (6)お父さんがジョークを言うと、家の中にゆとりができる。

            子どもが生まれたらーお父さんにできること
            (1)できるだけ早く帰る
            (2)自分のことは自分でする
            (3)お風呂に入れる
            (4)夜泣きをあやす
            (5)おむつを替える



            子育てに関わることは、父親にとって、広くいえば、自分の生き方を見直す大切なきっかけになります。子育てに関わることは、決して時間と労力を犠牲にすることではなく、父親の人間性を豊かにし、幸せを与えてくれるものなのです。

            確かに、自分の好きな仕事に熱中して、子どものことなど、ほったらかし、という男の人もあります。しかし、多くの父親は決してそうではなく、何とか子どもに関わりたい、家に帰りたいと思いつつ、仕事の状況がそれを許さず、仕事と育児の板挟みで深刻に悩んでいることも多いのです。

            子どもがお母さんに求めるのは抱っこだとすると、お父さんに求めるのは「高い高い」だという話があります。お母さんが与えるのが安心感だとすると、お父さんが与えるのは自立心と勇気おということかもしれません(もちろん、それが逆でもいっこうにかまわないのですが)

            お父さんは、子どもにとって初めて出会う社会です。お母さんとの一対一の関係から出て、初めて出会う他人がたいていお父さんだからです。そのお父さん体験がどういうものかによって、子どもが社会をどう見るかが、強く影響されます。

            お父さんからほめられ、認めてもらうと、子どもは自信をもち、そんな自分はきっと友達からも認めてもらえる、学校でも認めてもらえる、そして、社会でも認めてもらえると自信を持つことができます。

            母親の心をいかに支えるか、これが実は、父親の子育てで最も大切なポイントと言っても過言ではありません。そこで、まず大切なのは、妻へのねぎらいの言葉です。

            妻の話しを聞くときには用件がどうかというより、まず気持ちをじゅうぶんに聞いて、わかってあげる必要があるのです。

            お母さんがヒステリーになるのは、母親の性格というより、父親が子どもを叱らないために叱る役まで母親に回ってきてしまっていることが大きいのです。

            父親が叱るべきときにきちんと叱る。このことは、子どもがルールを学ぶために必要なだけでなく、母親と子どもの関係のためにも、とても大切なことなのです。
             
            お父さん、生きていてほしい。これが、子どもたちの、家族の、最後の願いです。
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            ヒトはなぜ子育てに悩むのか〜サル学の正高先生による子育て論考
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              正高信男先生の講義を大学生のときに聴講したことがある。サル学の内容だった。ぼく自身が父親になって育児書を漁っているときに、その正高先生が育児の本を出されていることを知って驚いた。たしかに、サルの母子に関する研究の話題もされていた記憶があった。

              先生の著書をいくつか読む。育児書として読めなくはないけど、やはり基本は動物行動学の本である。学術書の体裁であるから、逆に、著者の思想や思い入れが入り過ぎず、客観的に理解が深まりやすい。



              (「ヒトはなぜ子育てに悩むのか」より)
              少なくとも日本の大半のおとなに関する限り、とかく子どもへの思い入れが強くなりすぎる傾向があるのではないかというのが、常日頃の私の率直な感想であった。思い入れが強いので、ついつい自分自身の感情移入が激しくなってゆく。自分が良いと信ずることは無条件に、子どもに受け容れられるものと決めてかかっているふしがある。

              もっとドライになれたならば、近年話題になっているような、子が成長したのちも「子離れ」できない親と言うのも、なくなるのではないだろうか・・そんな感想を文章にしたら、こういう本ができあがった次第である。

              ひと昔前に比べて、最近では男も子育てに加わるようになったといっても、たとえば結婚前の都会派の男性には、赤ちゃんの養育に関わることへのためらいが、潜在的にも顕在的にも強く見られる。

              人類の歴史をみれば、父親も育児に携わっていた期間のほうが、圧倒的に長いのだ。しかも父親にしかできない役目をになっていた。ところが、社会が産業化され、賃金労働に従事するにつれて子育てから遠ざかって行ってしまった。ひっきょう育児の負担は、母親だけがかぶることになる。わずか300年余りの間に男性が得た育児従事免除の恩典が、急速に進行する都市部の母親の孤立化に一役買っていることもまた、まごうことない事実なのである。

              女性は自分に子どもができると、生物学的に不自然な育ちかたを自身がしていないかぎり、ほとんど不可逆的に子どもに関わろうと努める。一方、男性はというと、父親は本質的に「機械主義者」としてたちまわるのではないだろうか。機械主義者というのは、opportunistの訳語のつもりである。自分が「やるぞ!」と思ったときしか、やらない。ただ、やる気が起きたならば、育児語が出てくるという双方の結びつきは、やはり遺伝的に備わっている。


              (「父親力」より)
              父性と父親は同義ではない。母性も父性も、養育する者の子に対する役割の違いをあらわし、母親が父性を発揮することもあるし、逆も起こりうる。またひとりの人物が両方を担当するケースも存在する。いずれの場合でも、母性は子にとっての安全基地のような働き方をするが、いつまでもそこにとどまっているばかりでは、物事が新たな展開をみないのは明らかである。

              男性の話す育児語は女性のそれとは違った役割を果たしていることが明らかになってきている。声をことさら高く、抑揚を大抑にすることには子どもとのコミュニケーションをはかるうえで大切な機能があるのだが、それが男性と女性では異なることが判明したのだ。しかも、この差異がもっとも如実に反映され、育児語が大活躍するのが、絵本を読み聞かせる場面なのであり、かつ怪獣やオバケを題材とした絵本は、男性の声で読んでやると効果テキメンなのである。具体的には『かいじゅうたちのいるところ』が、そうした絵本の代表例ということになる。

              どうして家事に熱心に関わる父親と、そうでない父親ができるのだろうか。そう思って各父親に、今度は自分が過去に親からどういう養育を受けたのかを尋ねてみることにした。(中略)すると、家事に積極的である父親の父親というのは必ず息子のような生活態度ではなかったことが判明した。正の相関がみられないのである。それどころか、負の相関を示す。

              父親的な養育の要素というものが子どもの社会化に大切であるといっても、ただやみくもに夫が「もう一人の母親」として妻とともに子育てに励むことで達成されるものではない。

              「そうではないよ。世の中にはお母さんが大切と感じるものより、はるかに多様な価値があり、周囲はおまえにもっといろいろな期待をする可能性があるのだ」と、安全基地の外へ目を向けさせるチャンスと、とれなくもないはずなのである。

              母性が子どもにとって安心してくつろげる居場所を提供する役目を果たすのに対し、父性は居場所の外へ連れ出す仕事を果たさなければならないのだが、その課題がもっぱらこの親にかかってきている。だから何はともあれ、子どもが自分たちと教師以外の社会人と接する機会を出来るだけ多く持つように親は心がけるべきだろう。


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              父親の力 母親の力
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                 故河合隼雄先生の著作は、ユーモラスな筆致ながら内容が深く、人間心理と時代性の洞察に優れていて、いろいろと考えさせられるものが多い。

                育児書のジャンルではないが、先生の代表作の一つである『母性社会の日本の病理』は、父親のあり方について考えたい方には必読書と思う。その厚い学術書の内容を簡易にして、語りかける形で書かれた新書があり、まずはこちらを読まれることを勧めたい。

                父親に関する力強いメッセージが多く、母性と父性のちがいについて具体的な形で理解できる。また、日本人の育児の今昔と今後のあり方に関する考察でうなずく箇所が多く、いまどきの育児の悩ましさやあるべき姿について目からウロコがある。

                父親が母親と同じことをしていても意味がないし、子どもが窮屈になるだけ。子育ての孤立化やお金や情報量の問題で何かと悩ましい育児環境のなかで、親は子どもを守りつつも、たくましく育てるために距離を置くことも大切な視点なのだ。

                そのためにも、まずは父親自身がたくましく、自立して生きなければいけないと思った。
                「土をかぶるまでは、子どものことを考え続けるのが親だ」などと言っていましたが、昔は幸か不幸か、考えるだけで、お金もモノもないし、日々の生活に追われていましたから、実際にはたいしたことはできませんでした。それでバランスがとれていましたが、いまは、しようと思えば、お金でたいていのことができる時代です。そこで、なにかとむずかしい問題が生じてくるのです。

                父性と母性のバランスがとれているのがもっとも好ましいわけですが、これまでは、日本人の女性というのは、母性の下積みの部分を世話されてきました。考えてみれば、日本の男性にしても、会社へ行って好きなことも言えないまま、組織に組み込まれてやっているわけですから、母性的に生きているといえます。ただ、その分、家に帰って来てからいばることで帳尻を合わせているわけです。

                母性に関する問題は、子どもが母性にあまり深く取り込まれると、自立できにくくなるという点です。そういう子どもが確実に増えてきています。

                ほんとうに強い父親というのは、子どもに対して、「世間がどうであれ、自分の道を歩め。おまえのことはおれが守る」ということでなければならないのに、日本の父親は「世間の笑いものにならないように」などと、世間の代弁者になってしまっています。よく、昔は日本の父親は強かったと言われるけれども、そういう意味では、私は本質的に昔から強くはなかったと思っています。

                これからの日本の父親というのは、ポストではなく、人間そのものとして居場所を持つという意識をもたなければならないし、そのための練習もしていかなければならないと思います。このままだと、もともと母性が強い日本では、父親の居場所は完全になくなってしまうでしょう。

                本来の意味での父性というのは、日本の歴史にはなかったことです。だから、父権の復活ではなくて、私たちは父性をつくりだしていかなければならないのです。日本のカルチャーの中から、そういう父親を創造していくのだという気構えがないと、達成することはできないでしょう。

                妻に怒られたり、子どもに怒られたりしながら、ぐっとしんぼうしている父親も意味がない。そんな強さではなく、これからは的確な判断力と強力な決断力、不要なものはどんどん切り捨てていくくらいの実行力をもった父親が必要なのです。

                 いまは、お金や機械によってなんでも手っ取り早くできることが多いため、家族の問題もそんなふうに考えて「うちの子をなんとかよくする施設はありませんか」などと相談にこられる人が少なくありません。「お金はいくらでも出しますから」と言われても、こればかりは安易な外注の発想ではどうにもなりません。
                それより、無料でできる、とてもいい施設があります。それは、それぞれの家庭です。
                | 05:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
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                岳物語
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                  評価:
                  椎名 誠
                  集英社
                  ¥ 1,260
                  (1985-05-14)

                   椎名誠さんの親子の関わりを綴った私小説。『岳物語』を初めて読んだのは高校生だった。当時は勿論、親の目線というよりは子どもの立場で、ぼくの父親も椎名さんのように強くも温かったらよかったのにといった感想であった。うちでは椎名家みたいに父子でプロレスをするなんてことはなかった。

                  そして、父親になって『岳物語』を読み返す。読後感がまるで変わった。椎名さんの愛情と思いやりが伝わってくるとともに、子どもが自立する姿への寂しさや儚さといったものが、そこはかとない感触で伝わってきた。親になるということは、うれしくもあり、又、さみしいものである。

                  椎名さんがテレビや雑誌の有名人になる時期と重なり、仕事で出かける冒険の話題も興味深い。
                  海外ロケで3カ月とか半年くらい自宅不在になりことが多い。仕事が充実して超多忙な日々のなか、息子との限られた時間を充実させるために苦心する姿、息子と釣りにいった思い出をよすがに極寒のシベリアで過ごす様。椎名さんの姿から、ワーク・パパ・バランスのあり方が伝わってくるところが大きかった。

                  もちろん、この本は小説であって育児書ではない。でも、『岳物語』は父親の一所懸命に生きる姿が子どもに一番伝わっていることと、逆に、父親の想いは子どもに伝わっていかないという両面がじーんと分かる「最良のパパ指南書」なのだ。


                  「椎名さんはまだ岳にステられていないの?」 
                  千葉の亀山湖に行ったとき、野田知佑さんがエイヤっと投網を打ちながらそんなことを行ったのをこのごろ私はしばしば思い出すのだ。 
                  親と言うのはいつまでも子どもの面倒を見ているような気になっているけれど、実際には子どもは思いがけないほど早く自分の世界をつくり出して行ってあっという間に親ばなれしてしまうものだ、というのが野田さんの考えだった。

                  その日の夜、私は妻にこのことの顛末を簡単に話した。
                  「やっぱりなあ、だんだん反抗的になってきているよ」 夜更けのぬるいコーヒーを飲みながら私は言った。しかし妻の考え方は違っていた。 
                  「反抗、というのではなくて彼の自立、というようなものじゃないかしらね。オトコの自立期になってきているのよ」 妻はすこしコシャクなことを言った。 
                  「そうか、自立期か・・・」 反抗期ではなくて自立、というふうに理解すると私はすこしやわらかい気持ちになった。
                  | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
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                  ほめない子育て
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                    汐見先生の講演での語り口も分かりやすいし、育児書で書かれている内容はさらに分かりやすい。汐見先生はたくさんの育児書を出されているが、そのなかでぼくはこの『ほめない子育て』に感銘を受けた。

                    「子どもをほめない」という言葉だけ注目すると誤解を生みそうであるが、ほめることでも叱ることも、親が子どもをコントロールするために行わないという禁止令を表している。親の都合のよいように子どもを仕向けるために、おだてたりけなしたりするのを止めよう。

                    「子育ては放し飼いで」に、かなりヒットした。実際、企業での人材育成においても手取り足とり教えているうちは若手は育たなくて、放し飼いの状態にしておき自主性を重んじたうえで、要所要所でフィードバックを与えることで人は育っていく。部下に対してなら出来ることなのに、自分の子どもとなると上手く対応できなくなることはあるが、人を育てる基本は同じなのだ。

                    ただ、企業での部下育成と同じように、子育てでもマニュアルどおりにいくわけではない。相手の個性やレディネス(成長度合い)によって対応の仕方は異なるので、マニュアルに沿って一律に育てるというわけにはいかないからだ。

                    とはいえ、ビジネス書や育児書が役に立たないわけではない。仕事も育児も正解はないが、セオリーはある。セオリーを理解することで、個別に対応するときの応用が効く。

                    汐見先生の本は、育児のセオリーを理解するうえで大変に有用だ。本質の深い部分を押さえているのと、育児に正解がないことを例をあげながら繰り返し教えてくれる。




                    ほめることはよくないと何度か述べてきましたが、それは決してほめてはいけないという意味ではありません。ある場面ではほめることも必要になってくるでしょう。まったくほめないというのは現実的とはいえません。ここで問題にしているのは、子どもを自分の意志に従わせるためにほめるということを知らず知らずのうちに権力的に使うことを育児の日常にしていることです。

                    叱ることとほめることは、どちらも、他者であるお母さんや保護者が子どものやることを上から評価するという点で同じような行為なのです。たとえば、「あら、上手にできたわね、おりこうさん」という言い方は、お母さんが子どもよりも一段高いところに立って、そこから子どもの行動を「今のはいいですよ」とプラスの評価をしたということにほかなりません。逆に、「そんなことしちゃダメじゃないの、本当にあなたは」という言い方は、やはり子どもの上に立ってマイナス評価をしたということです。

                    一段高いところからほめたりけなしたりすることは、その意味でお母さんたちにはそのようなつもりがないとしても、実は、さりげなく親という権力を使って子どもをコントロールしていることになるのです。たしかに、子どもはまだ十分ぜなくの判断ができませんし社会のルールもよくわかりません。ですから子どもを育てるときには、さまざまな規制や禁止が必要になります。しかし、その規制や禁止の場合でも、子どものやったことに対して「さっきやったことは上の上だ」「下の上だ」といった感じに与える価値評価をすることは、できるだけ避けたほうがいいと思うのです。

                    大事なことは、自分の素直な感情、気持ち、意志などを気づかうことなく表現できるように育てることで、そのために子どもがありのままの自分を「このままでいいんだ」と自分で思えるようにしむけていくことです。そのための方法は、子どもをすぐにほめるのではなく、一定の距離をおいて子どもの様子を眺め、必要に応じてほめてやることだと思うのです。たとえば、子どもが何かの遊びに熱中しているとします。その様子を見ながら「それでいいのよ」とか「そうやって一生けん命やってなさい」というまなざしを送ることが大切なのです。

                    こうしたことをすべて取り入れた育児というものを考えてみますと、子どもに刺激を与え、子どもの熱中できる環境をととのえて、そのなかで存分に自由に活動させてやるというイメージが浮かび上がってきます。それをひとことで、ここでは「放し飼い」の状態にすると言っておきます。

                     「子どもは放っておいても育つ」「親はなくとも子は育つ」というのは昔の話しです。現在ではそういうわけにはいきません。「大人がいなくては子どもは育たない」というのがげんじょうです。子ども取り巻く環境がある意味では貧しくなっているので、家庭での育て方が、子どもの育ちにとても大きな影響力をもつようになってきたのです。

                    昔の親にしても、それほど上手に子育てをしていたわけではないでしょう。ただ、昔は地域社会の影響力が大きかったので、個々の家庭の育て方に多少の差があったとしても結果的に、ある基本的な部分ではそれぞれの子どもは平準化されました。しかし、今はお母さん、お父さんの育て方が子どもをダイレクトに決めてしまう確率がうんと高くなってきたわけです。親が不必要に子どもに干渉したり放棄気味になれば、どこかマイナスを背負って成長する可能性が高くなり、親がうまく子育てをすれば子どもはすくすく育つ可能性が大きくなるのです。このとこは、お母さん、お父さんにとっては大きなプレッシャーです。

                    最近になってようやく父親の育児参加が叫ばれ始めるようになってきました。その重要なきっかけは、1980年代になっていじめや不登校の問題が社会的にクローズアップされるようになったことです。いじめや不登校などの問題をかかえている子どもたちの生育史を専門家が分析していくと、そこに父親の存在がまったく見えないことが多いといことが明らかになってきたからです。

                    何よりもまずお母さん、お父さんは「子育ては育児書どおりではない」ということと「きょうだい一人ひとりはみな違う」ということ。このことをしっかり肝に銘じておく必要があります。決して親の思うとおりにしようとしないことです。そして子どもが幼ければ幼いほど、目の前にいる子どもの欲求やペースに合わせることです。おっとり型の子どもにはゆったりと対応し、せっかちな型の子どもにはこちらもテンポよく対応するのです。

                    親が子どもに合わせることで、子どもの個性を殺さずにすみます。そして、子どもはその個性を伸ばしながら、ゆっくりと周りに合わせることを覚えていくようになるのです。子どもの個性をつぶして相手に無理やり合わせようとすると、あとで大きな破綻が起きるということです。




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                    子どもが育つ条件
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                      なんとなくそうではないだろうかと思っていた子育てに関する考え方が、柏木恵子先生の鋭い分析によってズバズバと斬られる感覚。

                      父親の育児不在がもたらす負の影響。父親が育児をすることで子どもの発達によい影響があること。母親の「先回り育児」によって子どもの成長を阻害していること。男女共同参画の本質と少子化が進む背景、などなど。

                      子育てに関する書籍は情感に訴えるものが多いが、男性はロジックやデータから入る方が理解しやすい場合がある。本書はまさに、男性的な読者にマッチする内容。子育てへの理論的バックボーンになりうる内容が随所に。

                      父親がなぜ育児に関わらなければならないのか。それは我が子の健全な発達のためであり、妻の育児負担を軽減するためであり、少子化を止めるため。目的が明確であれば、男性は動きやすい。本書を読んで、男は理屈で育児に関わるべし。
                      父親になるが父親をしない、父親はいるが実際の育児に参加しない。こうした育児状況は日本の特長です。

                      まめに育児している父親とほとんど育児していない父親とを選びだして、その配偶者つまり母親たちがどのような気持ちで育児し生活しているかを比較しますと、配偶者が育児している母親では「子どもがかわいい」「育児は楽しい」といった肯定的な感情が強いのです。夫との共同育児が母親を心理的に安定させているといえるでしょう。

                      父親の育児不在、すなわち父親はいるのに育児せず、子どもの生活圏にはいない状況は、子どもの心理発達にマイナスに作用します。父親がいるのに、幼少時以来父親との交流がない場合、青年の心理的健康は低いのです。

                      主な養育者となっている(一次的世話役)父親は、そうでない二番手役割(二次的世話役)の父親とはずい分違っており、そして主な養育者である父親の行動は母親と類似しているのです。このことは、男親が女親と違うのではなく、養育の第一責任者か二番手かが子どもへの行動や態度を決定していることを示しています。

                      様々な社会の育児を比較研究した文化人類学者は、「先回りすること」を日本の育児の特徴の一つとしています。日本ではもともと「先回り育児」が強くなる傾向があるのですが、今日、「つくった」子への親の強い思い入れから、「先回り」がさらに加速しています。それはスピードだけではありません。量も増え、さらにその方向やタイミングを変化させました。

                      親が子どもに一番よく使う言葉は「早く、早く」です。子どものテンポ、子どもの関心を考慮せず、子どもを親の予定やスケジュールに無理やり従わせようとしての言葉です。本来、子どもに必要な「察し」を書いた先回りが多くなったのです。

                      こうしたあまりの過剰な親の関与、その一方で子どもの意思や希望を無視する傾向は、子にとっては「愛という名の支配」「やさしい暴力」となる危険をはらんでいます。
                      「できるだけのことをしてやる」ことが親の愛情である、というイデオロギーは、親がそう豊かでなく大勢の子どもがいた時代にはうまく昨日していたのですが、豊かになり少子になった今日では逆効果、むしろ弊害にさえなっています。

                      日本では、親が子に「してやる」ことが親の愛情とされています。しかし、子どもに自分でさせる機会を提供する、換言すれば、親はしてやらないことも重要な親の役割です。

                      このような不安や不満を抱いている女性・母親が育児すること自体、子どもへの関わりがゆがみやすいことは想像に難くないでしょう。「なぜ自分だけが」との不満が子育てをうとましく思い、子どもへ怒りをぶつけたり、ひいては虐待してしまったりすることは、けっして特異な事例ではありません。あるいは、自分自身の成長を諦めて、子の「成功」に賭ける「教育ママ」も、夫と妻の非衡平的関係の延長線上にあるといえます。

                      結婚・出産によって職場を離れ、子育てや家事に専念することになると、「個人」として生きる時間も空間も著しく狭められることになります。このことは「個人」として生きることが当たり前とされている今日では、女性に大きなストレスを与えます。
                      | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
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